デンマーク首都コペンハーゲンCopenhagen 観光日記
初めましてこんにちは。イギリス在住の旅好き大学生です。
アルバニア→北マケドニア→ブルガリア→ルーマニア→ハンガリー→ミュンヘン→
続きましてはコペンハーゲンです。
ハンガリーぐらいまでは旅しながらその国の歴史とか観光名所とか律儀にまとめていたのですが、ミュンヘン以降はイギリスに帰国してから(翌日に授業を控えながら)ブログ書いているので時間なくて割愛します。日記に観光名所の紹介お気持ち程度にちょっと挟むだけにします。
観光日記
1日目
コペンハーゲン行きの電車が確か遅延してしまい、ホテルに着いたのは22時すぎだった。
コペンハーゲンの物価はアホ高いので、その半分以下の値段で泊まれる、コペンハーゲン対岸のスウェーデンの都市Malmoにホテルを予約していました。宿泊仲介とホテル側の連絡ミスで、ホテルを変えなくてはならなくなる事件が発生するなどしたが、無事解決して就寝。
2日目
大晦日は絶対観光地開いてないので、今日のうちにコペンハーゲンの観光を済ませなければならない。
9時ぐらいに起床してMalmoから電車で1時間弱かけてコペンハーゲンに10時45分ぐらいに到着。
11時 Rosenborg Castle
Rosenborg Castle
Øster Voldgade 4A, 1350 København, Denmark
http://www.kongernessamling.dk/rosenborg/
元は離宮として1606年に建てられたものの、1710年からはフレデリク4世の邸宅としても使われたローゼンボー城。1838年からは一般公開されており、王室コレクションを展示する博物館となっている。
大きな庭があるのだからもっと広く土地を使って大きな城を建てればいいのに、と思うも、旅を共にする友達曰くデンマーク人は家を小さく建てがちなのだとか。
当日でも買えるんだけど、チケットはオンラインでの購入がおすすめ。時間指定制なので、当日買うとなると何時のチケットが買えるのかわからなくて予定が組みづらくなるからです。
私たちは当日券を買おうとチケット売り場に行くと、すぐに入れるチケットはなくて早くて1時間半後になるのだとか。一番早いチケットを買って、一回違う場所に行くことにしました。
11時半 Amalienborg
Amalienborg
Amalienborg Slotsplads 5, 1257 København K, Denmark
http://www.kongernessamling.dk/amalienborg/
アマリエンボー宮殿はデンマーク王室のお住まい。広場には誰でも入れて、毎日正午に衛兵交代式を見ることができます。宮殿は部分的に一般公開されており、歴代デンマーク王室のメンバーと関連する王室コレクションの展示が行われています。規模は大きくなく、30分ぐらい、私たちのようにじっくり見ても1時間程度でまわれる大きさです。
13時 Rosenborg Castleに舞い戻って、お城を見学。色んな言語のガイドブックが置かれており、各々自分のペースで自由に見て回れます。日本語もありました。地上に2階と地下に2階分が一般公開されていて、豪華でお上品な部屋とコレクションを簡単な解説付きで楽しめます。
15時 友達が行きたがったルイジアナ近代美術館へ
Louisiana Museum of Modern Art
Gl Strandvej 13, 3050 Humlebæk, Denmark
「ルイジアナ近代美術館」という名前はこの建物の最初の持ち主であったAlexander Brunにちなんで名づけられている。彼は3度結婚したが、どの妻の名前もルイーズであった。
(ウィキペディアより)
ええ、そんな名前の由来なんだ笑。
展示内容はコロコロ変わるみたいで、友達のお目当てはPussy Riotというロシアの政治的抑圧や性差別などの人権侵害を音楽活動などを通じて訴える集団に関する展示。こちらは2014年01月14日で終了しています。
案外広い美術館でじっくり見ていたら閉館時間になった。
19時 コペンハーゲン市内に戻り、海岸を散策しながらレストラン探し。メモし忘れたのですが、いい感じのイタリアンに入りました。
21時半ぐらい、Copenhagen City Hall前の広場で花火をやっている人たちがいたのでslushy(かき氷の飲む版)片手にしばらく花火鑑賞。普段はだめですが、年末の二日間は花火オッケーなのだそう。凍える寒さの中で氷を飲み干した友達は無事風邪を引き、その晩発熱したらしい(私は寝ちゃったから朝聞かされました)。
3日目
熱は引いたけど体調が本調子じゃない友達とコペンハーゲン市内でぶらぶら。
昼ぐらいにコペンハーゲン市内に着いて、カフェでブランチ。National Museum of Denmark開いてるってGoogleマップに書いてあったから見に行ったらやはり大晦日は開いてなかった。
15時 Grundtvig’s Church
Grundtvig’s Church
På Bjerget 14B, 2400 København NV, Denmark
バスと電車を乗り継いでグルントヴィークス教会へ。教会にしてはなかなか独特な外見をしていて表現主義の様式で1940年に建てられたそう。屋内は比較的簡素で、ありがたいこのに無料のお手洗いがある。
16時半 コペンハーゲン市内に舞い戻ってThe Little Mermaid人魚姫の像を見に行く。
The Little Mermaid
Langelinie, 2100 København Ø, Denmark
海岸沿いを歩くので強い海風にぶるぶる震える。
その後はまたしばらく街歩きをして、病み上がりの私たちは18時ごろには疲れてしまったのでMalmoに帰りました。本当は年越しはコペンハーゲンの広場で花火を見ようと友達が言ったのをきっかけに北欧巡りをする計画を立てたのですが、二人とも体調がダメなので断念。また来年に期待です。
4日目
6時12分の電車でMalmoを離れてGothenburg(Göteborg/ヨーテボリ)とオスローを通り、ノルウェーの都市Trondheimへ目指します。
ミュンヘンで便秘&擦り傷&微熱のトリプルアタックに見舞われたしょうもない話+その後のコペンハーゲン旅
ミュンヘンとコペンハーゲン旅について、詳しくだけどとてもカジュアルにまとめたものです。
ミュンヘンとコペンハーゲンのちゃんとした観光ブログは別につけているのでよければどうぞ。
もともとは旅が終わって高校の友達に旅の報告をしていたときに、「話があまりにも面白い」とお褒めのお言葉を頂いたので、せっかく長々と書いたからブログに上げちゃおって感じで、少し編集して公開することにしました。
面白いかどうかはわからないけど、大変痛快な旅になっているので暇なら読んでいってくださいませ。
※トイレネタなど少々お下品なものが含まれております。R12ぐらい。
登場人物
私(mabutaniame)
- 保育園から小中高と日本の普通科を卒業
- その後イギリスの大学で脳神経学を専攻
- 諸事情により中国語(標準語)をネイティブと難なく会話できるレベルに喋れるので、友達(広東語ネイティブ)とは中国語と英語をミックスして会話してるので、会話の内容はいい感じに日本語に訳します。二人とも中国語のネイティブじゃないからたまにアンジャッシュする。
- 女子校出身なのでトイレ系の話題が多い。自覚はしているんです。ごめんなさい。
友達
- 今回の約一ヶ月に渡るヨーロッパ旅にてトイレ以外は片時も離れることなく運命を共にした
- 香港出身のかわいいゲイくん
- 経済と地理を専攻
- 顔はいいが、正論ぶつけてくる時のドヤ顔はこの上なくウザい
- 元彼以外の人間が嫌いで、私にもいい意味でも悪い意味でも興味がなく会話が続かない
- 専攻が違いすぎてあらゆる分野において会話が続かない
- でも常識は私よりわきまえているし、手先も器用で料理上手、さらに旅にも慣れているので旅仲間としては満点超えて何億点でもあげたい
- 私と友達と他の子たち計5人でイギリスでシェアハウスしているが、私たちの痛快でカオスな旅について来れる人がいなかったので今回は二人旅。
あらすじ
私と友達はロンドンから12月13日からアルバニア→北マケドニア→ブルガリア→ルーマニア→ハンガリーの首都を巡り、26日にドイツのミュンヘンに到着。
12月26日
ドイツには、アプリでかんたんにレンタルできるスクーターが街中に散乱していて、免許とかなくても誰でも簡単にレンタルできる。私たちが泊まったホテルが地下鉄から徒歩10分の場所にあり、徒歩10分なんて大したことないのだけれど、ホテルまでの道にアダルトなお店が沢山あった。
友達「治安悪そうだから夜この道歩きたくない」
私「歩かないでどうすんのさ。空を飛ぶか?地を這うのか?」
友達「スクーター、レンタルして、この道シュバパって通り抜けたい」
私(私の運動神経甘く見るなよ。7歳までブランコが漕げず、小6のハードル50m走は32秒で跳び箱は4段で、人生一度も逆上がり出来ず、中高の球技大会ずっとバレーだったのに最後まで足しか引っ張れなかった女だぞ、私は)
私「いいよー。レンタルしよ」
ホテルの前でアプリ入れようとしたんだけど、私のアップルストアがなぜかこのアプリのダウンロード受け付けなくて、ダウンロードするのに2時間かかるって表示されてしまい、どうだ、友達諦めるか、って思ってたら、
友達「そういえば、僕のアプリで2台レンタルできるわ」
私(諦め悪いな)
友達のアプリでスクーターを2台レンタル。友達はベルリンでスクーター乗ったことあるからすいすい先へ進むが、私はなにせバランス能力の低さからバレエの先生に引かれたことすらある女なので、上手く前に進められず。スクーターにはボタンが1つとブレーキが両手にあって、ボタンを押せば最速時速20kmまで加速できるし、効きの良いブレーキもあるのだが、私は世界の加速についていけず、最速まで加速させたスクーターから落ちて地面にダイブ。21歳女、異国の地で両膝を擦りむき全身軽く打撲させる。
膝のヒリヒリを感じながら、ひとまず、自分のコートが破れてないか確認。なにを隠そうこのコートはこの友達から借りたもの。
友達「何探してるの?何か落とした?内臓?」
私「大丈夫。3日溜まったうんちすら出てくる気配ないよ」
コートは破れてない。
恥ずかしい恥ずかしいって爆笑しながら、結局駅まで歩いて行った。
かかった時間は20分。
歩いた方が速かった。
電車に乗りこみ、座って傷口をみたら、見たことないぐらい擦りむけてた。そりゃ時速20kmからコンクリートにダイブだからね、膝の皮膚もびっくり。こんな仕事をするために生まれてきたわけじゃないって辞表届出すわな。私はいつも消毒液を持ち歩いているので消毒しようとして、とりあえず膝についた汚れを取ろうとしたらティッシュがないことに気づいた。消毒液は持ってるのにティッシュはない女。カバンをゴソゴソしたら旧石器時代に作られた濡れてないウェットティッシュを見つけた。とりあえずドライ・ウェットティッシュで膝を綺麗に消毒。私は中高時代、よく靴擦れする関係で生理用品ポーチに絆創膏を入れているので、早速絆創膏を貼ろうとしたが、この絆創膏も旧石器時代に作られたものだから、もう使い道にならなくてアカン。この一部始終を見てた友達「そのカバンはドラえもんのポケットなの?」
仕方ないから、ミュンヘン市内についたら、ドラッグストア探して絆創膏買わせてって友達に伝えて、電車をおりる。地下鉄から出てきて時間は16時50分ぐらい。隣を通りかかった日本人ご家族のお母様が小さなお子様方に、「急げ急げ、あと10分あと10分」って言うものだから、ハテ、何を急いでるのかと考えると、ミュンヘン観光サイトで見かけた情報を思い出す。ミュンヘンの中心部に時計塔がありまして、その時計塔は毎日17時ぴったりにお人形が出てきて踊るそうなので、私たちも急いで時計塔のある広場へ。そこで10分弱まって、人もなかなかに集まってきて、いざってなるも、時計の門は開かず。落単した顔の人々がまばらにその場を後にする。私は、もしかしたら時計塔の時計がズレてるんじゃないかと思い、もう5分ほどその場に留まったが、時計は鳴らなかった。
友達が調べたら、17時に時計が動くのは夏季シーズンだけとのこと。
時計は諦めて、薬局行こうとするも、薬局は全て17時までにしまっていた。
くそっ時計塔め。
しょうがない、運動神経が終わってる私が悪いんだ、と薬局も諦めて、街を散策するが、万が一傷口が悪化したらどうしようとかと心配になる。
そこで閃く私。友達に、「ちょっとまってて」と言い残し、街の隅っこまで小走りで向かい、カバンから私がこの街で持ってきていた唯一のナプキンをスボンの内側に貼り付けた。これで衛生面は良くなるだろうとドヤ顔の私。滅多に人を褒めない友達も「おお賢い!」と目を輝かせた。ドヤ顔の私。後に、予想外の生理が来てナプキン買いに行かくてはならなくなるともつゆ知らずに(生々しい話だが、私は生理周期が完璧に28ー31日なのが私の身体で一番好きなところなのだ)。
その後は普通に観光して、ホテルを戻った。ホテルへの戻り方は、歩きたくない友達vs物理的にスクーターに乗れない私で、スクーターを2人乗りすることに決めた。もちろん運転するのは友達だが、私は友達の肩をしっかり掴み、しっかり叫びながらホテルまで無事到着。ホテルに着いた時は魂抜けるかと思った。ちなみに、夜のあの道には変な人が幾人か。突然叫び出す人、道端で車を停めて立ちションする人など。歩かなくてよかった。
12月27日
ミュンヘンから電車で3時間の場所へノイシュヴァンシュタイン城を観光しに行く。膝は痛むが、スーツケースに奇跡的にあった大きめ絆創膏で何とか耐えて、片道3時間の電車に揺られる。城への行き方は少し複雑で、ミュンヘン市内→Füssenという街まで電車で2時間半→城の麓の街(Hohenschwangau)までバスで10分→城まで徒歩30分の上り坂を歩く。
ちょっと身体がだるくて喉にも異変を感じていたが、お城が楽しみで特に問題視はしなかった。しかし、私の顔色が悪かったのかそれともあまりにも眠そうにしていたからか、満員電車の中で現地のおばさまに腕を引っ張られて席まで案内されました。優しいおばさま、ありがとうございます。
10時頃、私たちは城の麓の街(Hohenschwangau)についた。城への入場は時間指定なので、チケットに書かれている時間まであと3時間ある。せっかくだからと近くの山のゴンドラを乗りに行こうという話になった。
ゴンドラの駅までバスルート73で6分で行けるはずだが、肝心のバスが来ない。時間になっても来ないので諦めかけたその時、バスルート73が到着。google map曰く、78なら3分で行けるそうなので、逆にラッキーかもって思ったら、このバス凄く遠回りしたので結局18分かかった。
ゴンドラ乗り場でチケットを買う。学生料金で買えるとのことで喜んだのもつかの間。大人が一人€30なのに対し、学生料金は一人€29。この割引意味あるのか?
ともかく、ゴンドラで山頂まで行く。山頂は積もった雪が人々に踏み固められ、それが日光で溶けかけて凍っており、なかなかに滑る。私のブーツはまだしも、友達の靴はスリップ耐性皆無だから友達を支えながら歩く。亡くなったおじいちゃんを支えて歩いた記憶が蘇る。
綺麗だったけどね、山頂。あとゴンドラ乗ってる時にお城も見えて、行ってよかった。すぐ降りちゃったけど。
ゴンドラで山の麓まで降りる。バスでさっきの街に戻るんじゃなくて、ここから1時間お城まで歩くことにした。
この、毒林檎を持った老婆に出会いそうな薄暗い道を歩き、あの、山の中腰にある城を目指すのです。
しかも普通の観光客はゴンドラ駅から城まで歩いたりしないから、この道を1時間歩いて出会ったのは馬車1台とリス1匹。
可哀想に。このリスは私の「かわいいよー」にびっくりして逃げてしまった。動物愛護団体に訴えられないことを願う。
さて、徒歩1時間の道のりとはいえ、最初はあまりにも平坦だったので、これは最後どんな急な坂を登らされるんだ、とハラハラしながら歩いた。友達は現在地の標高がみれるアプリを開きながら歩く。
友達「あ、ほら2mだけだけど確かに僕達は登ってるよ」
私「いやwwwたった2m」
友達「あ、まって、今3m下がった」
案の定、最後の20分の道はキツかった。普段、ちょっと色気ある?叫び声(無意識)だすと友達に「そういう声出すのやめて」とか下ネタぶっ込まれるが、この時ばかりはすごくハアハア言ってる私にも何も文句を言ってこなかった。てか友達ゲイだし、別にムンムンしないくせに。こういうとこうるさいんだよね。
何はとまあれ、城に到着して、無事観光を終えた私たち。正直言って、城は遠くから見た方が綺麗だった。近くで見るとなんか期待値よりもしょぼく見えるんだよね。でも行く価値はありよりのあり。あと、近くに城を眺める有名な展望スポットの吊り橋(Marienbrücke)があって、せっかくだからそこにも行こうってなった。ハアハア言いながら登った道をいとも簡単にくだり、そしてまただいぶ登って、徒歩20分ほど。吊り橋には橋が今にでも折れそうなほどの観光客が乗っていた。
凄く綺麗よ。本当に行っほうがいい。
そして私たちはこの橋からまた麓の街まで降りる。すごい下り坂で膝の軟骨全部すり減って無くなるかと思った。麓の街にて電車のある街まで行くバスを待つ。ちょうどほとんどの観光客が帰る時間になってしまい、バスを待つ列は驚きの長さ。来る辰年にぴったり、まさに龍のような長さ。しかしバスは来ない。40分ほど寒さに凍えながらバスを待つが、一向に来ない。しかもバス来たところで多分1台目には乗れないだろう。仕方が無いので、電車のある街まで徒歩で向かうことにした。これまた徒歩1時間半。寒さに凍えながら暗くなりゆく人気のない道を歩く。旅の同行者が男で良かった。女子2人旅では絶対こんな暗くて誰もいない道歩けない。
その後は何事もなく、電車に乗ってミュンヘンまで帰る。大事ではないけれど、電車を待つ時、疲れ果てた私の横でまた正論述べて揶揄ってくる友達(しかもドヤ顔なのが更にウザイ)にちょっとまじでムカついて、無邪気な顔でインスタのリール見せてくる友達を一回だけぷいっと無視した。温厚な私が拗ねるのは滅多にないことなので友達もしおらしくなった。ごめん。でもかわいい。
ミュンヘンに戻って20時ぐらい。ちょうどレストランが繁盛する時間。レストランを何軒かあたったけど、みんな満席で、私たちはまた30分ほど彷徨うことになる。ようやく入れたイタリアンで、私たちはすっかり疲れ果てた。友達がゲイとはいえ、男女2人でイタリアンは一見カップルに見える。
しかしこの(フェイク)カップル、全然会話しないし、顔色は悪いし、笑わないしで、レストランのさんが心配になってしまう。何度も食事は大丈夫か、なにか手伝うことは無いかと確認してくる可愛いウェイトレスさん。しまいには、無料でお酒をサービスしてくれた。なんだかウェイトレスさんに申し訳ない。ちなみにこのウェイトレスさん、他のウェイターさんと何度も店の外に出て逢瀬してた。あっちは本物のカップルです。
ホテルに戻って就寝。もちろん地下鉄からホテルへの戻り方はスクーター2人乗り。法律的に2人乗りしていいのか分からないけれど、まあ夜だし人気ないしバレなかったから内緒ってことで。
12月28日
さて、翌日の12月28日。身体がすごく重い。昨日の疲れと、一昨日の怪我と、さらにヨーロッパ旅行はトイレ探しが鬼門なので水飲まなすぎて、私は多分微熱だった(そして便秘5日目である。勘弁してほしい)。体感37°前半ぐらいかしら。正直、熱よりも喉がやばかった。唾飲み込むのも精一杯だし、咳が止まらない。しかし私の風邪で友達の一日を台無しにしてしまうのはなんだか申し訳ないので、なんとか服を着替えて化粧を施し、ミュンヘン市内へと出かけた。私があまりにもスクーター乗れる気力がないので、地下鉄までは徒歩。
ミュンヘン市内でまずはお食事。身体が弱い時は嘘のように食欲が湧かないが、食べなければ病気は治らないので、アジア系の食事をしようとフィリピン料理屋さんに入った。美味しかったんだけど、なにせ食欲がゼロなので半分ほど残してしまった。申し訳ない。
近くの薬局へ行き、解熱剤と咳止めを買う。(絆創膏も買いたかったけどすっかり忘れていて、結局この約1週間後にノルウェーで買った)
なぜ薬を買うのかといえば、私がバカすぎてなぜか即効性のある薬は一つも持ってこず、漢方薬と大量の下剤しかなかったからです。
本当はニンフェンブルク宮殿やレジデンツ(ミュンヘン市内の宮殿)、美術館などに行きたかったのだが、あまりにも身体が動かなかった。思い返せばこの日の私の歩く速さが亀だった。膝の怪我と全身の緩やかな痛みを抱えて昨日1日3万歩の道のりを歩ききった私だが、この日は本当にもうダメだった。友達にペコペコ謝りつつホテルに戻ることにした。もちろん地下鉄からホテルまでは徒歩。友達もスクーターに乗ろうなんて一言も言わなかった。
その後私は馬鹿みたいに寝た。とにかく水を飲んで治そうと思って、寝て、小便して、水を沢山飲んで、を繰り返した。夕食は出前でアジア系のものを頼んだ。その日はとにかく病気を治すことに全集中した。
12月29日
私たちは朝イチの電車でミュンヘンからコペンハーゲンを目指す。私の体調はというと、咳と喉の痛みは残るものの、熱は完全に下がり、歩く速さも亀から人間に戻った。便秘は残念ながら健在。病み上がりに下剤は死ぬ予感がするので、しばらく腹のハリは我慢。この日はずっと移動で、8時20分ミュンヘン発の電車に乗り22時にコペンハーゲン対岸のMalmo(スウェーデンの都市。こっちの方が物価が安いからホテルはこっちで取ってる)についた。
ここでも小さな事件発生。宿泊仲介とホテル側の連絡ミスで、私たちはホテルを変えなくてはならなくなった。新しいホテルは予約していたホテルの姉妹店で、増えてしまう分の料金は宿泊仲介側が持つことになったから別にいいけどね。ただ、私と友達はいくら仲が良くても違う性別なので、ホテル取る時は絶対シングルベッド2つあるところを探していた。でもこういう想定外の事情があるときはシングル2つがいいなんて図々しくて言えないから、私は生まれて初めて血縁者以外の男と同じベッドで寝ることになった。こういう私の「生まれて初めて」を色々奪った友達は結構罪である。
友達「(気迫ある顔で)僕だって彼氏と寝たかったさ!!!」
お互い素敵なパートナーが見つかるといいね。
12月30日
大晦日は絶対観光地開いてないので、今日のうちにコペンハーゲンの観光を済ませなければならない。詳細は割愛するが、とにかくチケットを買わねばならない観光地を巡った。ホテルに帰る前に、友達がslushy(かき氷の飲む版)飲みたいっていうので、セブンイレブンでひとり一個ずつ購入。しかもLサイズ。凍える中、氷を喉に通す。私は本当にバカだから忘れていたが、先日の風邪で気管支炎だったのだ。気管支に炎症があり、気管支が狭まった状態でガバガバ氷を飲んでいたらどうなる、気管が更に狭まるだろ!!!結構呼吸するのキツくて悪夢のようだった。
しかし自業自得だったのは私だけでは無い。その夜、友達は熱を出した。元々身体が弱まったところに、凍える寒さの中氷を飲んでいたので、ホント2人揃って馬鹿である。
12月31日
教会行ったりリトルマーメイド像見に行ったりとぶらぶら散歩。友達、朝になって熱引いたとはいえ、病み上がりによく歩けるな。
本当は年越しはコペンハーゲンの広場で花火を見ようって話していたんだけど、二人とも体調がダメなので断念してさっさとホテル帰って寝ました。もともとコペンハーゲンで年越しするためにこの旅行スケジュール組んだようなものなのにまさかこうなるとは、今となっては笑える。
あけまして2024年。元日から私たちはまた大移動。ノルウェーの首都オスロを通り過ぎてTrondheimっていう場所を電車とバスを乗り継いで目指す。そこから大きいフェリーで2泊3日しつつ、さらに北にあるTromsøに行く。
友達は4日間ぐらい毎晩熱を出していた。かわいそうに。下船の前日にようやく回復し始め、その後は大事なく健康に旅を続けた。
私の便秘といえば、船に乗った瞬間嘘のように解放されました。やったー。
ドイツ ミュンヘンMunich 観光日記
初めましてお久しぶりです。イギリス在住の旅好き学生です。
アルバニア、北マケドニア、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーときて、次の目的地はドイツです。
本当はドイツに寄る予定はなかったですけど、ちょうどミュンヘンを通るのでどうせならと。しかし今となってはちょっと予定をつめつめにしすぎたなと後悔(ドイツは悪くない)。ドイツ滞在1日目に膝を酷く擦りむき、2日目には微熱、そしてクリスマス以降便秘というトリプルパンチに苦しむことになりました。ここら辺の私と友達が体調を崩したカオスで痛快な日記はこちらのブログで詳しく、そして大変カジュアルに、少々お下品なトイレ話も交えて書いてあります。暇つぶしにでも読んでください。
ミュンヘン市内の観光はろくに出来なかったので、また機会を見つけてリベンジしようと思います。
ドイツの歴史をまとめるのは骨が折れるし、まとめられるほどの数の観光スポットにも行けてないので、このブログは観光日記だけにします。
ミュンヘンの歴史や観光スポットについてにこちらのサイトですごくわかりやすく紹介されているので行く前に読んでおくとより楽しい旅になることかと思います。
観光日記
1日目
16時ぐらいにミュンヘン到着。
ホテルをチェックインして、中心地へ行こうとしたところで事件発生。ドイツではミュンヘンに限らず、アプリでレンタルできるタイプのスクーターが流行ってるのですが、私もそれに乗ろうとしたところ、スクーターの加速に身体がついていけず、加速中のスクーターから地面にダイブ。両膝をエグく擦りむき、軽く全身打撲になりました(私の鈍臭さったら!)
消毒液も絆創膏も持ち歩いていたのですが、絆創膏が小さすぎて使い物にならず、クリスマス直後で時間も遅かったので薬局は開いていませんでした。仕方なくナプキンをズボンの内側に貼って対応。
とりあえずミュンヘン市内の教会を一つ一つまわりました。
New Town Hall / Neues Rathaus
Marienplatz 8, 80331 München, Germany
こちらは教会ではなく市庁舎です。可愛らしい時計付き。夏季は正午と16時、 17時に、冬季は正午と16時に可愛いお人形が出てきてくれます。
決して私のように冬季の17時にお人形さんを見ようと棒立ちしたりしませぬようお気をつけて。
St. Peter
Peterspl. 1, 80331 München, Germany
ミュンヘン最古の教会。火事や戦争により幾度も再建されています。ミュンヘンを一望できる塔もあります。
Heilig Geist
Prälat-Miller-Weg 1, 80331 München, Germany
ゴシックでロココな作りの教会。14世紀に建てられた。
Frauenkirche
Frauenplatz 1, 80331 München, Germany
独特な見た目をした聖母教会。塔が二つ頑丈な作りの教会から突き出ていて、遠目からでもよく見えます。
18時半に夜ご飯を食べようと、かねてより行きたかったこちらのレストランへ。
Hofbräuhaus München
Platzl 9, 80331 München, Germany
ドイツで一番人気のパブです!このパブとアドルフ・ヒトラーに関するちょっとしたウンチクが(先ほども紹介しました)こちらのサイトにのっているのでよければどうぞ。
席は相席になるのですが、あまりの満席で室内を二周しましたが座れず、渋々ここでの食事は諦めることとしました。
まあバイエルン地方の有名な白ビールは他のレストランでも飲めるからね。
向かい側のこちらのレストランに入りました。
Augustiner am Platzl
Orlandostraße 5, 80331 München, Germany
念願のビール!大衆受けしそうな味で美味しかったです。
食事も普通にうまかった。
その後、地下鉄とクーターを二人乗りしてホテルに帰りました。
2日目
ミュンヘンから電車で3時間の場所へノイシュヴァンシュタイン城を観光しに行く。
Neuschwanstein Castle
Neuschwansteinstraße 20, 87645 Schwangau, Germany
アメリカのアナハイムにあるディズニーランドの眠れる森の美女の城のモデルとなったとか、東京ディズニーランドのシンデレラ城のモデルになったとか、詳しくはわからないけどとにかく美しいお城です。うつ病のかわいそうな暴君ルートヴィヒ2世の支持のもと建てられた、ルートヴィヒ2世立て籠もり用のお城です。お城が完成することなくルートヴィヒ2世は亡くなりました。当時はルートヴィヒ2世のオタ活(城大好き)のせいで王家の国庫が空になりかけましたが、現代では有名な観光地になりドイツに財政的に貢献できていて結果オーライですね。
城への行き方は少し複雑で、ミュンヘン市内→Füssenという街まで電車で2時間半→城の麓の街(Hohenschwangau)までバスで10分→城まで徒歩30分の上り坂を歩く。
7時半 ミュンヘンHbf駅発
8時半 Buchloeで乗り換え
9時半 Füssen着
現金を持ち歩いていないので現金引き出しのためATM探しの旅へ20分ほど。街をぐるっとまわって、結局さっき降りた駅のお土産屋さんに手数料無料のATMありました。
10時すぎ Hohenschwangau着
10時半 Hohenschwangau Castleに一瞬行くが、チケットの時間指定がいい感じの時間じゃなかったから入城は諦める
11時50分 Tegelberg Cable Car
ゴンドラで近くの山を登ることにした。山頂は雪が積もっていて、適当な靴で登れるような感じではなかったが、ゴンドラの途中でノイシュヴァンシュタイン城がすごく綺麗に見えるのでおすすめです。ただチケットっがちょっと高い。往復€30で学割で€29です。何のための学割?
下山して、Hohenschwangau街には戻らず、徒歩でノイシュヴァンシュタイン城に向かうことに。
13時半 ノイシュヴァンシュタイン城着
城内の観光は、前半はツアー式でツアー終了後は自由行動できます。とはいえ、見どころある場所は前半にあります。
15時半 Marienbrückeという橋に到着。この橋はノイシュヴァンシュタイン城が大変よく見れる展望スポットです。行くかちょっと迷ったけど行ってよかったし、行かなかったら勿体無い。
下山して16時ぐらい。Füssenに戻るバス待ちの人々で見たことない長さの列ができていた。40分ぐらい寒さに凍えながらバスを待つが、バス来ないし、来たところで乗れなさそうなので、諦めて徒歩でFüssenに向かう。1時間半かかりました。
20時頃 ミュンヘンに戻り、レストラン探しへ。もう一日中歩いて疲弊していたので、空いていたからとイタリアンへ入り(美味しかったしウェイトレスさん超優しかったけど場所メモってなくてどこかわかんない泣)、ホテルへ戻って就寝。
この日1日の日記はこちらのブログにいらないほど詳しく書いています。よかったらどうそ(2回目)。
3日目
発熱で1日パーになりました。
詳しくはこちらのブログをどうぞ(3回目)。
4日目
ハンガリー首都ブダペストBudapest 観光日記
はじめましてお久しぶりです。イギリス在住の旅好き学生です。
アルバニアから始まったヨーロッパ北上の旅、ルーマニアの次はハンガリーです。
クリスマス真っ只中にブダペスト行ったのでほとんどどこもオープンしておらず、ためになる話は少ないかと思いますがどうぞよろしくお願い致します。
ハンガリーMagyarország/Hungary
- 中央ヨーロッパの国
- 北から時計回りにスロバキア、ウクライナ、ルーマニア、セルビア、クロアチア、スロベニア、オーストラリアと隣接する
- 公用語はウラル語族マジャル語のハンガリー語
- 国民は8割以上がマジャール人(ハンガリー人)
- 宗教はカトリックが39%、続いてプロテスタント(カルヴァン派とルター派)が2割ほど、ユダヤ教も少数ながら存在する
- 首都はブダペストBudapest
ハンガリーの歴史
- 433年 フン族による独立国家が誕生
- それまではダキア人が住んだりローマに編入されたり。独立国家は現在のブルガリアやルーマニアの一部を含む
- アッティラの時代に領土を広げるが、アッティラ死後フン族は分裂する。
- 6世紀 アヴァール人の侵略
- 8世紀 フランク王国の支配
- 9世紀 マジャル人がウラル山脈から移住
- 1000年 ハンガリー王国(アールパード朝)建国
- ハンガリー人のイシュトヴァーン1世によるカトリック教の国。領土を広げるも、
- 13世紀 モンゴル襲来で大きな被害を受ける
- 1396年 ニコポリスの戦い
- ハンガリーvsオスマン帝国でハンガリーの敗北。
- 1419年-1439年 フス戦争
- フス派(プロテスタント)vs 教皇領(カトリック)で最終的にはフス派の勝利
- 1526年 モハーチの戦い
- ハンガリーvsオスマン帝国でハンガリーの敗北。ハンガリーは北西部3分の1をハプスブルク家、南東部3分の2をオスマン帝国領に治められてしまう。
- 1618年 三十年戦争
- 新教徒勢力(プロテスタントetc)vsカトリック勢力。ハンガリーではトランシルヴァニア公国が新教徒勢力、ハプスブルク家が治めるオーストリア大公国と王領ハンガリーがカトリック勢として参戦。
- 1683年 第二次ウィーン包囲
- 敗北したオスマン帝国が軍事的後退
- 1699年 カルロヴィッツ条約により、ハンガリーおよびハンガリー王国領のクロアチアやトランシルヴァニアはオーストリアに割譲された。
- 1848年 3月革命(ウィーン体制が崩れるきっかけとなるヨーロッパ各地で起きた革命)
- 1867年 オーストリア=ハンガリー二重帝国の成立。ハンガリーで起き続けていた独立運動や3月革命を受けて、オーストリア側とハンガリー王国側それぞれに自立した政府、議会、憲法を有することとなった。オーストリア皇帝とハンガリー国王はハプスブルク家が兼ねる。
- 1914年 第一次世界大戦勃発
- 敗戦国となったため、オーストリアと分裂。
- 1918年 ハンガリー人民共和国成立
- 1919年 ハンガリー・ソビエト共和国が成立するも、ハンガリー・ルーマニア戦争により打倒される
- 1920年 ハンガリー王国成立。ホルティー・ミクローシュが摂政となる王の以内王国が宣言されるが、連合軍とのトリアノン条約により大部分の領土と人口を失う。時代に右傾化し、ナチス・ドイツと協調するようになる。
- 1944年に戦局の劣勢を受け枢軸国離脱を試みるも
- 1945年敗戦まで枢軸国として戦う
- 1946年 ソ連の占領下でハンガリー共和国成立。
- 1949年 ハンガリー人民共和国成立。ソ連の衛星国となる。厳しい統制が続く。
- 1989年 ハンガリー共和国成立
- 1999年 NATO加盟
- 2004年 EU加盟
観光スポット
House of Terror
Budapest, Andrássy út 60, 1062 Hungary
ナイツ・ドイツの同軸国だった時代とソ連の衛星国だった時代のハンガリーで、迫害や厳しい統制下にあったユダヤ人とハンガリー国民について語る博物館です。当時の人々の気持ちを彷彿させるような雰囲気作りで、とてもいい博物館でした。なかなかえぐい話も多くて、博物館を出たあと友達に「まだ食欲ある?」ってきかれたけど、いや、食欲あるかどうか関係なく私たち既に8時間以上何も食べてないからね。
Ludwig Múzeum
Budapest, Komor Marcell u. 1, 1095 Hungary
現代美術好きな友達が行きたかった現代美術館。夜8時閉館なのに7時に到着したから1時間しかなくてほとんど何も見れませんでした笑。しかも現代社会のあり方を問いかける作品が多くて、その都度友達と議論していたら本当に数作品しか見れなかった。
Dohány Street Synagogue
Budapest, Dohány u. 2, 1074 Hungary
ヨーロッパで最も大きいユダヤ教の教会です。1859年に完成されたもの。ツアーを予約すれば見学できたのかもしれませんが、クリスマスなのもあって私たちは中には入りませんでした。
外から見てもその大きさは圧巻です。是非訪れてみてください。
St. Stephen's Basilica
Budapest, Szent István tér 1, 1051 Hungary
ネオルネッサンス様式の壮麗なカトリック教会。ハンガリー王国1000周年を記念して建てられたものです。ヨーロッパ旅で色んな教会を訪れましたが、その豪華さには私もびっくり。おすすめの場所です。
展望台もあるみたいです。
Hungarian Parliament Building
Budapest, Kossuth Lajos tér 1-3, 1055 Hungary
国会議事堂。中を見学するにはツアーの予約が必要です。私たちは外見を見ただけで中には入りませんでした。ブダペスト、いい場所だったから絶対また行くし、その時またツアーで中入りたいと思います。
Fisherman's Bastion
Budapest, Szentháromság tér, 1014 Hungary
日本語で漁夫の砦ってやつです。王宮の丘全体が世界遺産に登録されています。丘にはマーチャーシュ教会が建っています。クリスマスなので観光客向けに開放されておらず、私たちは中には入れませんでした。
丘からブダペストを眺めるのは最高に気持ちがいいし、この街の建物がいかに可愛らしいか堪能できます。おすすめの場所です。
City Park
Budapest, Kós Károly stny., 1146 Hungary
大きな市民公園で、19世紀末に建てられたお城や美術館などがあります。もちろん私たちが訪れたクリスマスの日にはオープンしておらず。でも街の騒々しさに飽き飽きした時のお散歩にピッタリの場所でした。
Hungarian State Opera / Magyar Állami Operaház
Budapest, Andrássy út 22, 1061 Hungary
パリのオペラ座と比べたら少し小さめで、だけど煌びやかさは負けません。
ツアーに参加すると普段見れないところへの見学も可能です。
オペラ座のチケット(特にクリスマスのくるみ割り人形)は満員御礼。そんな時は立ち見チケットをゲットしよう。開演前の2時間前から窓口にて立ち見チケットが販売されます。1人8ユーロです。立見席なので舞台は見切れるし、疲れるしと思うけど、8ユーロで舞台が見れるのはもはや贅沢です。
ここで立見席争奪戦のアドバイスを一つ。立見席の中でも寄り良い席を確保するには、会場前からエントランスホール左右にある大扉の前で並ぶと良いです。会場したら4階分ほど階段を登ります(それかエレベーター)。コートと大きな荷物を預けて、再度会場まで扉の前で10分ほど待ちます。入場時間になったら、左右どちらでもいいので1番前の立見席の、中央よりの位置をとりましょう。端っこによると舞台が見づらくなるので注意です。
↑手書きでごめんなさい。こんな感じです。赤丸の場所が立見席で1番いい場所です。
せっかくの欧州旅行、いい席で観たいよ!って方は普通にオンラインでチケット購入出来ます。公演の1か月前から販売されていますので、気に入った席とお値段と相談して良い思い出を作ってくださいね。
ブダペストは他にも温泉などが有名です。日本の温泉と違って、男女混合で水着必須ですのでお忘れなく。
観光日記
1日目
14時 BucharestからBudapestに到着
まずはホテルのチェックインを済ませて、すぐさま博物館へ。
15時 House of Terror
16時半 夜ご飯
Menza Étterem és Kávézó
https://maps.app.goo.gl/YFNo67b7pS24dp837?g_st=ic
ずっと食べたかったフォアグラを頂きました。美味しい!けど歳のせいでしょうか…重くて2枚目から辛くなってしまいました…。
19時 Ludwig Múzeum
雪が降っていました!バスを降りたら電車に乗って美術館行こうとしたんだけど雪の上を歩くのが楽しくなってしまって、結局で電車には乗らずに徒歩で向かいました。
美術館閉館後も広場で雪遊びをして、スーパーによりつつ、ホテルに帰りました
2日目(クリスマスイブ)
11時 Dohány Street Synagogueに寄りつつ、St. Stephen's Basilicaの前にある広場で開催されているクリスマスマーケットへ。すごい数の人と美味しそうな匂いで賑わっていました。
12時半 クリスマスマーケットでお食事
教会内にも入りたかったのですが、観光客がものすごく多くてチケット買えるまで時間かかりそうだったので諦めました。
13時半 Hungarian Parliament Building
14時 Fisherman's Bastion
付近をぶらぶらして16時半ぐらいにホテルに戻りました。
夜ご飯は昨日スーパーで購入した鴨です。友達が使ってくれました。マジでこの人今すぐにでもシェフになれるってぐらい何作っても美味しいんです。
21時半 夜景を堪能するためドナウ川ナイトクルーズへ。前日に予約したので、クリスマスイブのナイトクルーズはほぼ満席。めっちゃ安いプランとめっちゃ高いプランしか残ってませんでした。もちろん私たちは1番安いプランを予約。£20ぐらいで2ドリンク付きのやつ。ヴァイオリンとチェロの生演奏もあって、雰囲気とても良かったです。
ここで未来の旅人さんに向けて注意点をひとつ。ナイトクルーズはなるべく10時より前のものを予約するといいです。10時以降、国会議事堂などのライトアップが消えてしまうからです。
24時 ホテルへ帰ろうとして、たまたまSt. Stephen's Basilica前の広場に寄ったら、まばらな人数が教会内に入っていくのが見えました。私達もこそこそあとをつけて入ってみると、降誕前夜祭のミサが行われており、ものすごい数の人が見学していました。
教会内は本当に豪華絢爛!ミサを見学するのは初めてだったので、いい経験になりました。
3日目(クリスマス)
11時 昨日行ったクリスマスマーケットに戻ってチェコの巻きパントゥルデルニークを頂きました。シナモンの味が薄くて美味しい!(私はシナモンが苦手)
その後Vörösmarty tér駅近くのクリスマスマーケットで食事を取りました。
13時 City Parkで散歩
クリスマスなので美術館など空いてるはずもなく、ただただぶらぶら歩いていました。途中見かけたスタバで抹茶ラテを注文して一息着きました。
15時半 Hungarian State Operaへ、バレエ・くるみ割り人形の立ち見チケット争奪戦へ。64席分の立ち見チケットが当日公園2時間前に窓口で販売されます。
18時開演なので16時からなはずですが、実際は16時になる前から販売されました。
チケット無事ゲット。1枚€8です。
一体ホテルへ戻って、夜ご飯の準備をして、17時半にまた劇場へ戻りました
18時 Hungarian State Opera
立見席なので、疲れるし舞台が見切れちゃうけど、時間などあっという間に過ぎていきました。本当に良かった!ずっとワクワクさせてくれるバレエでした。色んなバージョンのくるみ割り人形見てみてみたいです。
20時半 終演
まだまだくるみ割り人形の余韻が残っていて、バレエ音楽を口ずさみながらホテルに戻る。
夜ご飯を食べて、シャワーして寝ました。
4日目
7時40分発の電車に乗って、ハンガリーとおさらば。ドイツのミュンヘンに向かいます!
参考にしたサイト
https://www.veltra.com/jp/guide/international/spot-international/26780/#index_id11
https://www.hungary-travel-living.org/budapest-sightseeing/#furdo
ルーマニア首都ブカレストBucharest 観光日記
はじめましてお久しぶりです。イギリス在住の旅好き学生です。
バルカン諸国から離れてルーマニアへ。
ルーマニアについて
ルーマニア România
- 東ヨーロッパの国
- 北から時計回りに、ウクライナ、モルドバ、黒海、ブルガリア、セルビア、ハンガリーと接する
- ルーマニア人は、トラキア系ダキア人、2世紀頃に侵入した古代ローマ人、7世紀頃に侵入したスラブ人、9世紀頃に侵入したマジャール人、そしてトルコ人、ゲルマン人などの混血が進んだ人種
- ルーマニア人が約9割、その他にはマジャール人、ロマ人(ジプシー)など。
- 公用語はロマンス語族のルーマニア語
- 宗教はルーマニア正教会が主流
首都はブカレストBucharest
ルーマニアの歴史
- 古代よりトラキア系ダキア人が住居
- 101年 ローマ皇帝トラヤヌスの侵略によりローマ帝国の領土となる
- 238年以降 ゴート人が侵入
- 271年 ゴート人の王国が建国される
- 5世紀頃 フン人の帝国の領土となる
- その後アジア系遊牧民族に代わる代わる支配される
- 8世紀頃 ブルガール人の領土となる
- 中世までにはワラキア公国、モルダヴィア公国、トランシルヴァニア公国の3ヶ国が建国されるか、オスマン帝国やハプスブルク家などの支配下にあった
- 1859年 ワラキア公国とモルダヴィア公国が統一され
- 1861年 オスマン帝国の自治国としてルーマニア公国が誕生
- 1877年 露土戦争(ロシアvsオスマン帝国)に乗じて独立宣言
- 1918年 第一次世界大戦終了
- 第一次世界大戦中は同盟国軍に攻め込まれるも、連合軍側だったためトランシルヴァニア公国などを含め領土が拡大される
- 1939年 第二次世界大戦開始
- ソ連に領土の一部を占領される初めは枢軸国側(ドイツ側)につくが、ドイツがソ連に敗れたことを受け、連合軍につき、対ドイツ戦を続けた
- 1947年 ルーマニア人民共和国が成立
- ソ連の圧力により社会主義国となるが、ニコラス・チャウシェスクの独裁のもと西側諸国との結びも大事にした
- 1989年 ルーマニア革命
- チャウシェスクとその妻エレナの裁判・公開処刑が実行される。その後民主化が進められた。
- 2004年 NATOに加盟
- 2007年 EUに加盟
観光スポット
国民の館(議事堂宮殿)
Palace of Parliament
Strada Izvor 2-4, București, Romania
事前に予約が必要です。公式サイトから予約する場合は24時間前までに電話する必要があります。私たちは第三者機関からWeb予約しました。
身分証明書(パスポート等)の確認と荷物検査があるので、飛行機内に持っていけないものは所持しないように。
中では写真を自由に撮ることが出来ますが、自由行動はできず、ガイドさんの後を着いていく必要があります。私たちのガイドさんは親切でユーモアがある方でとても良かったです。
この議事堂は社会主義のチャウシェスク元大統領が築いたもの。完成する前に銃殺されてしまいましたが、私からすればもう十分完成しているよ。
議事堂は外から見ても壮観で見応えがありますが(ペンタゴンに次ぐ世界で2番目に大きい建物!)、こだわりにこだわった贅沢づくしの内装は必見。ほとんどの材料がルーマニア産で、チャウシェスクがいかに愛国心を強調したのかが伝わってきますね。私のお気に入りは淡いピンク色で統一されたお部屋。ピンク色の大理石に、ピンクのカーテン、ソファーなどなど。ピンクは唯一どの国旗にも使われていない色だから、中立的なんだとか。あーたしかに言われてみれば。好きなチャウシェスクのストーリーは、毒殺が怖いからってエアコンを付けず、空気の循環にすごく気を使ったって話。笑っちゃだめだけど発想が…笑。
The Romanian Athenaeum
1, Strada Benjamin Franklin 1-3, București 030167, Romania
パリのオペラ座と同じ人が建築した音楽堂。夜はコンサート、昼は観光客向けにオープンしています。入場出来るかどうかは毎日時間帯によって違うので、ホームページから調べておきましょう。
まだブログには書いていないんだけど、一年前にパリのオペラ座にも行ったことがあります。なるほど、たしかに構造とかが色々似てる。オペラ座ほど豪華ではないにしろ、客席にポカーンと座ってるだけで楽しい煌びやかな世界でした。
"Dimitrie Gusti" National Village Museum
Şoseaua Pavel D. Kiseleff 30, București 011347, Romania
"King Michael I" Parkという大きな公園の一部が、ルーマニアの村落の博物館(なんて訳せばいいか分からない)となっています。18〜20世紀の人々が住んでいた家屋が60個ぐらい展示されていて、ものによっては中に入ることができます。
"King Michael I" Park自体はすごく大きくて、時間があれば散歩したかったんだけど残念ながら2日しかないのでパスしました。日本庭園あるらしいからちょっと見たかった。
Arcul de Triumf
Piața Arcul de Triumf, București 011453, Romania
ルーマニア統一の記念として建てられた凱旋門。ルーマニア統一&独立はオスマン帝国やルクセンブルク家の反対の中はフランスが味方についてくれたからその記念なのかな?ブカレストが小パリと言われるのもこの凱旋門と音楽堂が理由なのかも。
パリの凱旋門よりはさすがに小さいけどVillage Museumの近くにあるからついでに行ってみるといいと思います。
旧市街地
National Museum of Romanian History
Calea Victoriei 12, București 030026, Romania
ルーマニアの国立歴史博物館。近代史コーナーから始まって、古代の石碑(?)コーナー、社会主義時代の子供のおもちゃコーナーなど、展示物が時系列順ではなかったし中世史はほとんどなかった。
Cărturești Carusel
Strada Lipscani 55, București 030033, Romania
世界で最も美しい本屋さんに選ばれた本屋さん。地下には日本の漫画コーナーがあり、エントランス近くはお洒落な小物が売られていて、最上階にはカフェがあってと、本屋としてだけではなく観光地にもなっている。
Universul lui Salvador Dali
Strada Lipscani 84-90, București 030037, Romania
街歩きしていたらたまたま見かけて入ってみました。スペイン画家ダリの期間限定美術館で2023年12月13日から2024年12月05日までやってます。ダリはくねくね歪んだ時計とかの絵で有名な画家です。ルーマニアと全然関係ない人なんだけど、でもダリの世界観とか一歩深く踏み込めてとても良かったです。
旧市街地にはほかにも観光スポットがいくつかあって私たちは通りすがりに眺めただけでした。
Macca-Vilacrosse Passage
Pasajul Macca, București 030167, Romania
歩行者天国みたいな感じ?でもショップがたくさんあるわけじゃなくて、レストラン街って感じ。
The Church of the "Stavropoleos" Monastery
Strada Stavropoleos 4, București 030167, Romania
1724年に建設された東方正教会の修道院。入ろうと思ったんだけど、あまりにも信教深い人が続々出てくるもんだから、場違いかなって思って入りませんでした。
"The Old Court" Voivodal Palace Palatul Voievodal "Curtea Veche"
Str. Franceză 25, București 030167, Romania
15世紀に建設された教会。こちらも変な時間に訪れたせいか入口がどこかよく分からず、結局スルーしました。
Manuc's Inn
Strada Căldărari 3, București 030109, Romania
1808年に建設されたキャラバン用の宿。
あとは、ちょっと行きたかったけど時間とかの都合で行けなかった場所たち
観光スポット(旧市街地以外)
The House of Ceaușescu
Bulevardul Primăverii 50, București 014192, Romania
チャウシェスク元大統領の私邸。ちょっと行きたかったけど予約していなかったし、時間(と体力)も足らなかったから断念。
National Museum of Art
Calea Victoriei 49-53, București 010063, Romania
通りかかったんですけどね、迷いに迷って期間限定でオープンしていたUniversul lui Salvador Dali展に行ってしまいました。
The National Museum of the Romanian Peasant
Şoseaua Pavel D. Kiseleff 3, București, Romania
ルーマニアの伝統衣装とか伝統文化とかの博物館です。ちょっと行きたかったんだけど、友達が興味無さそうだったのとVillage Museum行ったしまあ別にいっかってことで行きませんでした。
ルーマニアは首都だけじゃなくて他にも行きたいところたくさんあるからまた今度来よう!
観光日記
1日目
7時ソフィア発の電車に乗って
17時半ぐらいにブカレスト到着
ホテルをチェックインして、夜ご飯
Caru'cu bere
こちらは140年の歴史を持つレストラン。豪華絢爛な内装でお食事も美味しい!ディナー時にはダンスショーもあります。
ルーマニアの伝統的なお食事のバリエーションが豊富。お値段も良心的です。
私はルーマニアの伝統的なロールキャベツを注文。マイルドな酸味で、酸っぱいものが得意じゃない私でもとても美味しくいただけました。
20時 クリスマスマーケット
国会議事堂(Palace of Parliament)付近の広場で大きなクリスマスマーケットがありました。ぐるぐる歩き回ってホットワインとクレープを購入。夜ご飯でお腹いっぱいだからクレープひとくちだけしか食べれないって言ってたのに、結局半分以上友達に食われました笑。ひとくちとは?
2日目
10時 "Dimitrie Gusti" National Village Museum
空腹のままぶらぶら散歩。入場料が現金のみでATM探し回ったりしました。
13時 お昼ご飯は日本人からも良いと評判の和食!
オーナーが日本人の方で、食器などは全て日本から持ってきたらしい。こんなに美味しい和食は久々〜!ヨーロッパには日本人以外の方が仕切るなんちゃって日本食が多いから、普段は避けて通ることが多いんだけど、こちらのレストランには行って本当に良かった。
私は肉うどんと柚子濁り酒、友達は生姜焼き定食と梅酒、デザートにいちご大福を注文。全部美味しかったし、接客とかお店の雰囲気も本当に日本って感じ。次ブカレスト来たらまた行きますー!
15時半 The Romanian Athenaeum
16時半 旧市街でぶらぶら。
17時 Universul lui Salvador Dali
本屋に行こうと歩いていたらたまたま見かけて、友達が近代美術好きなのもあって入ってみました。Dali展じっくりみて、その後は引き続き街をぶらぶら。
19時 Cărturești Carusel
やっと目的地の本屋さんに到着。道草しすぎて笑。
20時半 遅い夜ご飯。友達がお寿司食べたいというので、また日本食屋さんへ
ラーメンの味はまずまずっておっしゃってるブログ見かけたので、ラーメン食べようとしたんだけど、友達と巻き寿司をシェアすることになりました。海外でよく見かける寿司って感じだけど普通に美味しかったからよし!
3日目
11時 Palace of Parliament
2日前ぐらいに予約したツアーに参加。詳しい感想は観光スポットのところに書いてます。
13時 お昼ご飯
昨日の街歩きで友達が気になってたお店へ。ルーマニアにしてほんのちょっとお高いけどめちゃめちゃ美味しかったからよし。私はラザニア、友達はトリュフのパスタを注文。どっちもとろけるぐらい美味しかったからオススメ。デザートにCan't believe it's actually papanasi ってやつを注文。小さくて丸い揚げパンみたいなものにホームメイドのブルーベリークリームなどを付けていただきます。ルーマニアの伝統的なデザートです。こっちも美味しくてすごくおすすめ。
14時半 National Museum of Romanian History
最近博物館ばっかりでちょっと疲れてきちゃったから、こちらの歴史博物館はそこそこにして、昨日の世界一美しい本屋さんの最上階のカフェで時間潰すことにしました。
ホテルで預けた荷物取りに行って、駅に着いたらマックなどを買って、ブカレストとおさらばの準備。
21時 ブダペスト行きの電車出発
寝台列車初体験!めっちゃオリエント急行殺人事件。もちろんファストクラスじゃないしまったく豪華じゃないけど、廊下とかが本当にそうだった。4人部屋とか6人部屋の相部屋もありましたが、私たちは個室を予約。上下2段ベットで、シンク付き。トイレは共用で、シャワーもしようと思えばできると思います。
ベッドも綺麗そうで良かったんだけど、この部屋には一つ致命的な問題が。それは温度調節機能が欠陥してること!部屋にはヒーターがついていて、暖かいんだけど、熱い空気は下から上へと溜まっていきます。2段ベッドの上に寝ていた私は暑くて死にそうでした。ヒーターを調節したり消したりすることはできなくて、窓を開けて温度調節しろってことなんでしょうけど、窓から入ってきた冷たい空気は下に沈んでいくから涼しくなるまでにすごく時間がかかります。しかも窓開けると電車の走る音がすごくうるさい。結局窓を開けた状態でカーテン閉めて寝ましたが、途中で何回も起きては下に降りて窓を開け閉めしました。
あと、暑さに比べたらなんてことないんだけど、上のベッドに手すりついてなくて、これ急停車したら私転げ落ちるなって思って寝てました。
温度以外は本当に快適でよかったです。
ここで、寝台付き個室を出て、普通に座るところへ移動して、ブダペストへ。
参考にしたサイト
ヨーロッパ旅行は先輩旅人たちのブログが頼り🫶
https://feel-the-earth.com/memo/2020/04/ramen_bucharest/amp/
https://ohayotourism.com/bucharest-bestspot/
https://ameblo.jp/romania-info/entry-12498834590.html
ホテルはヒルトンガーデンインでした。普段はAirbnbとか三つ星ホテルが多いのですが、今回は観光客がまばらな時期だからか(それとも普通にブカレストの物価が安いのか)、1人一晩£32で泊まれました!しかも立地めっちゃいいし洗濯もできる。快適〜!
ヒルトンガーデンインはこちらの方のブログで詳しく紹介されています。
ブルガリア首都ソフィアСофия 観光日記
はじめましてお久しぶりです。イギリス在住の旅好き学生です。
アルバニアから始まったヨーロッパ北上の旅、3つ目の目的地はブルガリアの首都ソフィアです。
- ブルガリアの紹介
- 治安
- 観光スポット
- St. Alexander Nevsky Cathedral
- St. Sofia Church
- Church of St. Nicholas the Miracle-Maker
- Sofia Synagogue
- Saint Petka Church
- National Museum of History
- The Red Flat - Everyday Life in Communist Bulgaria
- Boyana Church
- St.Georgkirche
- Alexander Nevsky Crypt Icon museum
- National Archeological Institute with Museum
- The Palace - National Art Gallery
- Ivan Vazov National Theater
- Earth and People National Museum
- 観光日記
- 参考にしたサイト
ブルガリアの紹介
ブルガリア共和国Република България
ブルガリアの歴史
- スラブ人とテュルク系遊牧民族のブルガール人の今月が進んだのが今のブルガリア人
- 7世紀までは東ローマ帝国領
- 680年頃から第一次ブルガリア帝国建国
- 11世紀に再び東ローマ帝国に統合される
- 12世紀末にまた独立
- 1242年にモンゴル勢力にうたれて衰退
- 1393年にオスマン帝国に統合される
- 1878年 露土戦争にてオスマン帝国が敗れたため、ブルガリア公国として独立
- このとき、事実ロシアの保護国であったが、イギリスやオーストリアの牽制を受けてロシアの南下を阻止。ブルガリアは国土を狭められた
- 1885年 オスマン帝国領に残されていた東メルリ自治州を合併して国土拡大
- 1908年 オスマン帝国で起きた青年トルコ人革命をきっかけにブルガリアは独立を宣言
- 1912年 第一次バルカン戦争
- ギリシャ・セルビア・モンテネグロ・ブルガリア(バルカン同盟)vsトルコ
- バルカン同盟側の勝利
- 1913年 第二次バルカン戦争
- 今回は領土を巡ってギリシャ・セルビアと戦争し、どこからの援助も得られずブルガリアの敗北
- 1915年 第一次世界大戦
- ドイツ・オーストリア側に立ち、同盟国として参戦するも敗北
- 1941年 ナチス・ドイツと軍事同盟を結ぶ
- ホロコースト(ユダヤ人虐殺)を要求されるが、北マケドニアのユダヤ人虐殺をするかわり、自国のユダヤ人には手を出さず、枢軸国勢力下戦中期にユダヤ人人口を増やした唯一の国となる
- 1944年 ソ連の侵略を受け、ソ連の衛生国家となる。ワルシャワ条約機構に加盟
- 1989年 共和党政権が崩壊
- 1991年 ソ連崩壊を受け
- 2001年 北大西洋条約機構に加盟
- 2007年 EU加盟。加盟当時のEU最貧国。
首都はソフィアСофия
- バルカン半島中央に位置することから、古代より貿易路として盛んであった
宗教
治安
普通笑。他のヨーロッパ諸国と同様スリや詐欺に気をつければ大丈夫だと思います。
観光スポット
St. Alexander Nevsky Cathedral
pl. "Sveti Aleksandar Nevski", 1000 Sofia Center, Sofia, Bulgaria
ブルガリア総主教の本拠地。ロシア皇帝アレクサンダル2世を記念して1882年に建設が開始された。
大きくて豪華で、壁にかかれた絵などすごく見応えがありました。私たちは朝イチに訪れたのでまだ聖職者の方が準備しているところを見れました。
St. Sofia Church
ul. "Paris" 2, 1000 Sofia Center, Sofia, Bulgaria
6世紀に建てられた初期ビザンティン時代の聖堂。ソフィアって都市の名前の由来にもなったそう。
朝に入ったので本当に祈りを捧げる人が数人で、観光客は私たちだけ。
Church of St. Nicholas the Miracle-Maker
Tsar Osvoboditel Blvd 3, 1000 Sofia Center, Sofia, Bulgaria
在住ロシア人のために立てられたロシア正教会の聖堂。外装の色あいがすごく素敵。聖大主教セラフィムが安置されているから見たかったんだけど、朝イチで行ったせいか、真剣にお祈りしている方がたくさんいて、あからさまな観光客である私たちは玄関までしか入れないって言われて見れませんでした。宗教絡みの場所は観光客の多い時間に行った方がいいですね。
Sofia Synagogue
Exarch Joseph Street 16, 1000 Sofia Center, Sofia, Bulgaria
2023年現在、パレスチナ問題で戦争が始まったせいでしょうか、観光客向けにオープンしているとは思えないセキュリティの厳重さでした。まず、もうオープンの時間なのに門は空いておらず、来客はゲート横の呼び出しボタンを押す。するとイカつい警察が2人現れてパスポートなど身分証明書の確認。簡単な問答があり、警備小屋に入ってコートを脱いで荷物検査。それでやっと寺院に連れて行ってもらえます。私の友達がなぜか検査にすごく時間かかって、なんでだろうと思っていたら、家庭の関係でイスラム教の名前がついていて、しかもその事を忘れていたらしく(友達自身は無宗教)私も知らなくてユダヤ教寺院に来てしまいました。このご時世そりゃ怪しいよね。警備小屋から開放されると、寺院の門を聖職者の方が開けてくれました。検査は厳しかったけど聖職者たちはとても温かかく歓迎してくれました。もちろん観光客は私たち以外1人もおらず、自由に見学させてもらえました。ユダヤ教寺院は初めてだったし、なんだか不思議な感覚の綺麗な内装で勉強になりました。ただ、歴史博物館もあるって聞いたんだけどそれらしきものは見当たりませんでした。その名残りらしきものはあったら、観光客少なそうだし、撤去されちゃったのかな?
Saint Petka Church
1000 Sofia Center, Sofia, Bulgaria
14世紀に建てられた小さな教会。ほぼ駅と一体化していて、通勤でいそいそしている人々が前を通っていて不思議な感覚。中にも入れるみたいですが、変な時期に来たせいか開いてませんでした。
National Museum of History
Национален исторически музей
ul. "Vitoshko lale" 16, 1404 Boyana, Sofia, Bulgaria
歴史博物館。ちょっと遠いけど、朝の教会巡りの時間が結構巻いたので行ってきました。じっくりみて3時間ぐらいかかった。観光客私たちしかいなかったから、職員さんが1人ずっとさりげなく私たちの後をついてきてたのがちょっとクスッとなりました。職員さんお疲れ様。
内容としてはもちろんブルガリアの国の歴史を説明してくれるパネルと歴史的価値のあるものが沢山展示してある感じ。良かったなって思ったところは、パネルごとに上の方にいつ頃の話なのかタイトルがついてるところ。あと、アルバニアや北マケドニアの博物館よりも、当時の人々の暮らしが詳しく解説されていたのが良かった。
博物館のゲートから建物の入口までの長い道に発掘されたお墓の屋根とかがずらりと展示されていて、この国から如何に沢山の物が発掘されたかを物語っていました。
The Red Flat - Everyday Life in Communist Bulgaria
GIFTED urban culture hub, ul. "Ivan Denkoglu" 24, 1000 Sofia, Bulgaria
ブルガリアが社会主義国だった頃の人々暮らしが再現されている体験型博物館。実際にこの家に住んでいたご家族が、家具とか本とかもろもろ家ごと博物館として公開しており、来客は音声ガイドと共に展示品を自由に触ったりしながら当時の暮らしを体験していきます。
何語の音声ガイドがあるのか分からないけど、日本語はさすがにないと思います。英語の音声ガイドは、ブルガリア人の方が喋る英語だったと思うんだけど、すごく分かりやすくて、目の前の本とかペラペラ捲りながらでも内容がすっと頭に入ってくるいいガイドさんでした。当時の人々の暮らしが割と細かく解説されていて良かったです。
この家の方、本当に物持ちが良くて、当時のテレビなどの家具からお洋服、本、旦那さんの身分証明書、子供のおもちゃ、(そして1986年から未開封のコカ・コーラ笑)まですごく良い状態で保管されています。
この博物館は、社会主義に学術的な意味で興味がある友達が見つけて連れてってくれたところだったけど、私も大満足。当時の人々の暮らしが知りたい方、歴史好きな方にとってはすごく楽しい博物館だと思います。
ここから先は私は行ってないけど軽く下調べまではした観光スポット。
Boyana Church
ul. "Boyansko ezero" 3, 1616 Bojana, Sofia, Bulgaria
ブルガリア正教会の教会堂。ユネスコ世界遺産に登録されているから行けばよかったって今後悔してる。
St.Georgkirche
Knyaz Alexander Dondukov Blvd 2, 1000 Sofia Center, Sofia, Bulgaria
4世紀に建てられた、ソフィア市で最も古いブルガリア正教の教会。通りかかっただけで中には入りませんでした。
Alexander Nevsky Crypt Icon museum
Музей за икони в крипта Александър Невски
pl. "Sveti Aleksandar Nevski", 1000 Sofia Center, Sofia, Bulgaria
中世美術が展示されている博物館。私たちは行きませんでした。
National Archeological Institute with Museum
BAS Национален археологически институт с музей - БАН
пл. „Атанас Буров“, 1000 Sofia Center, Sofia, Bulgaria
考古学の博物館。時間なかったし私たちはそこまで興味がなかったのでパスしましたが、結構見どころあるみたい。
The Palace - National Art Gallery
i, pl. "Knyaz Aleksandar I" 1, 1000 Sofia Center, Sofia, Bulgaria
国立美術館ってところかしら。通りかかりましたが時間の都合で入りませんでした。
Ivan Vazov National Theater
Народен театър "Иван Вазов гр.София"
Dyakon Ignatiy St 5, 1000 Sofia Center, Sofia, Bulgaria
ウィーンの建築家が1906年に建てた国立劇場。今の劇場は1976年に再建されたもの。
Earth and People National Museum
Blvd. "Cherni vrah" 4, 1421 g.k. Lozenets, Sofia, Bulgaria
鉱石とかが展示されている博物館。興味ある方はぜひ。
観光日記
1日目
22時 ソフィア到着
スコピエから小型バスで4時間ちょっと。バスの乗客は私たちだけ。入国審査のとき、友達がイギリス国籍なのと、丸メガネかけていて似ていたから、入国審査官に'Harry Potter...?'ってきかれていて笑ってしまった。友達はハリポタ見たことなくて一瞬キョトンとしていましたが、私がホグワーツから来たんです秘密にしてくださいって言ったことで事なきを得ました(?)
まあ実際スコットランドから来てるから間違ってはいない。ちょうど友達もハロウィンにハリポタのコスプレしてたから合ってる合ってる。
ソフィアでは心優しい老夫婦に助けられながら電車に乗り、ホテルまで到着。シャワーしてさっさと寝ました。
2日目
6時 起床。女子の朝は早い。
7時 朝食
ホテルが朝食付きなので、久々にまともな朝ごはんにありつけました。
7時半 ホテルを出てトラムで出発。
St. Alexander Nevsky Cathedralから西に向かってぶらぶらしながら教会たちを見学。
St. Sofia Church
Church of St. Nicholas the Miracle-Maker
Saint Petka Church
Sofia Synagogue
10時 National Museum of History
14時 The Red Flat
16時 クリスマスマーケットまでお散歩
2023年のクリスマスマーケットはWeihnachtsmarkt Sofiaにありました。
ブルガリア自体にクリスマスマーケットの風習はなくて、こちらのクリスマスマーケットはドイツ大使館が提供しているドイツ風クリスマスマーケットでした。
16時半 夜ご飯
Ресторант Щастливеца Витошка
私たちの身体が省エネすぎる。朝7時半にご飯食べたのを最後に16時まで飲まず食わずで周りきりました。
夜ご飯に選んだのはThe Red Flatのすぐ隣にあるGoogleの評価がめっちゃ良いお洒落なレストラン。8600評価あって4.5星。メニューがすごく豊富で決めるのに時間かかってしまいました。味も美味しい。私はpokrekloっていう伝統料理を注文。ポークや牛タンが野菜と共に細かくカットされていて、ほくほくするお料理でした。
ご飯の後は別のクリスマスマーケットに向かって歩いていましたが、どうやらもう畳んでしまったみたい。残念。さっき行ったドイツ風クリスマスマーケットに戻って、チェコ名物のトゥルデルニークを食べて、スーパーマーケットに寄りつつホテルへ帰って寝ました。
3日目
5時半 起床。メイクはせずに荷物をまとめて
6時 出発
7時発の電車にのっていざ次の目的地、ブカレストBucharestへ!
参考にしたサイト
北マケドニア首都スコピエСкопје 観光日記
はじめましてお久しぶりです。イギリス在住の旅好き学生です。
アルバニアから始まったヨーロッパ北上の旅、2つ目の目的地は北マケドニアの首都スコピエです。
北マケドニア共和国(Република Северна Македонија)
マケドニアという名前だが、アレクサンドロス大王でおなじみ古代マケドニア王国との関連性は薄く、この名前のせいでギリシャとはだいぶもめた。
古代マケドニア王国とどのぐらい関係薄いかというと
しかもマケドニアとはもともとこの地方を指す言葉で
そりゃギリシャのお怒りを買うわけだ。
経済制裁とかいろいろ経て現在は両国合意のもと、北マケドニア共和国って名前で落ち着いたみたいですね。
首都はスコピエ(Skopje/Скопје)
民族構成としては
宗教
治安
悪くないけど良くもないって感じです。
危険を感じたことはありませんでしたが、国全体の貧しさゆえ、ホームレスや物乞い、野良犬などは結構見かけました。旅行慣れしてない方は要注意です。知らない人が話しかけても決して応じないこと。無視するか、ノーノーと頭を振ってさっさと歩いちゃってください。風船を買ってほしいと風船を突き出してくる子供もいました。心苦しいですが、風船を持ってはいけません。お金を要求されちゃいます。
旅行中の注意点
先程と重複しますが、物乞いなどには決して応じないこと。
英語は通じないことが多いです。Google翻訳大活躍。
カード決済が普及していないので、現金を持ち歩くこと。ATMは首都なら比較的よく見かけます。
1人で夜出かけないこと。
現地の人にとって東洋人はめちゃめちゃ珍しいです。自分ら以外見かけませんでした。
観光スポット
Macedonian Holocaust Museum
Iljo Vojvoda Br. 2, Skopje 1000, North Macedonia
ホロコーストはナチス・ドイツとその同盟国によるユダヤ人大量虐殺のこと。こちらの博物館ではユダヤ人の歴史について学べます。
アルバニアの博物館に比べてすごく観光客に親切な展示がされています。もともと目を見張るような内容が多いし、その上来客の目を引くような工夫が色々となされていてとてもいい博物館でした。
Museum of the Macedonian Struggle for Independence
11-ти Март 11 March, Skopje 1000, North Macedonia
北マケドニアが独立するまでに経験したあらゆる努力について学べる博物館です。関連する歴史人文が蝋人形となって展示されていますが、解説が少なくて、だれこれ?って思いながら歩いてました笑。学生割引も相まって入場料がめちゃくちゃ安かった(150MKDぐらい?うろ覚え)。
Skopje Fortress
Samoilova 1000, Hattusa 1000, North Macedonia
スコピエ城跡から街を一望。
ここでまあまあ関係ない小話をひとつ。
城跡の奥の方に小さくて古い木製の展望台があるのですが、私たちの前に展望台に昇ったトルコ系の観光客の方が木製の階段を降りようとした途端、階段が崩落してしまいました。階段の端の杭に足を掠めたみたく、出血していてちょっと見てられませんでした。お大事になさってください。
Mother Theresa Memorial House
Macedonia St 1000, Skopje 1000, North Macedonia
ノーベル平和賞受賞のマザーテレサはオスマン帝国(現在の北マケドニア)のスコピエ出身。マザーテレサの貧しい人のための活動を記念して、メモリアハウスがスコピエに建てられました。小さくて暖かい場所です。
Museum of the City of Skopje
Свети Кирил и Методиj, Skopje 1000, North Macedonia
月曜定休なの知らずに月曜に行こうとしたら開いてませんでした。残念。
観光日記
1日目
アルバニアの首都ティラナからバスで8時間。16時前にスコピエに着きました。
予約していたAirbnbにチェックインし、荷物を置いて出かけました。私たちは川を挟んだ南側に住みましたが、川の北側のバザーを通ってファストフード店で夜ご飯をすませました。
17時 Teteks1
2人でなんと350MKD、約5ポンド😂安っ!
その後はAirbnbのお父さんオススメのバーに行こうってことで、スーパーマーケットによって安いワインを買って、宿に戻ってpre drink。
20時半 Café Kotur
昼はカフェで夜はバーなんですって。おしゃれ〜!カクテルがひとつだいたい200MKDぐらい。メニューはQRコード読み取る式で、英語もあるし、店員さんも英語お上手です。楽しくひとり3杯ぐらい飲んで帰宅。
2日目
10時 Macedonian Holocaust Museum
13時半 Pelister Ресторан „Пелистер”で昼食。
その後はブラブラ散歩しながらSkopje Fortressで夕日を見ました。
16時 Museum of the Macedonian Struggle for Independence
閉館まで博物館でじっくり学んで、その後はスーパーへ行って食材を調達。夜ご飯は簡単にすませました。
3日目
11時 Airbnbをチェックアウトして、まずは荷物を預けにバス停まで行きます。
その後はぶらぶらとショッピングモールに入ったり街を散策しつつ、お昼ご飯
13時 Destan
友達はケバブ、私は子牛のスープを注文。あと真昼間からビール、美味い!お肉も柔らかくて良かったです。メニューは英語あるし、立地も観光客の多いところなので、英語通じます。
お食事後はMuseum of the City of Skopjeに行く予定でしたが、月曜定休日でやってなかったので予定変更。市の中心部の西側を沿ってぶらぶら歩いて、市の中心地へ戻ってMother Theresa Memorial Houseを見学。その後はまたショッピングモールをぶらぶらして、最後はバス停近くのモール内のカフェで時間を潰しました。
小話をひとつ。
光沢のある毛並みのいい野良猫がたくさんいるのに、痩せた野良犬が街ゆく人に物をねだってるのがなんだか見ていて切なかったです。